受信者責任・発信者責任

ちかごろすっかりお馴染みになった言葉に

「忖度」

がありますね。

 

日本は昔から「受信者責任」の文化だと言われています。

 

「受信者責任」とはどういう事かといえば、

コミュニケーションにおいて

言葉などを発信した側よりも

受け取る側に責任の重きが置かれるというもので、

発信側が具体的な表現をしなくても、

受信側はその真意を読み取って理解すべきである、

といった風潮を指しているようです。

 

この度の「忖度」や、

「空気を読む」「KY」などが

会話で当たり前のように使われていることをみても

理解できることだと思います。

 

店を営業していて客の注文を受けておりますと

「ああ、本当に日本は受信者責任だなぁ」と

常々実感いたします。

 

私も立場が逆ならば無意識にしていることかもしれないのですが、

例えばショーケースを指さして、

「一種類ずつください」

とか

「1個ずつください」

とだけおっしゃって、注文終了感を出す方がいます。

これは発信者責任の地域ならば理解されないでしょう。

 

受信者責任というのは、

同じ文化を共有する日本ならではの現象なのでしょうけど、

今後ますますグローバル化が進んでいくと

異文化同士のぶつかり合いの中では

そうも言っていられなくなるでしょう。

ましてAIが発展して機械が人間に取って代わって

仕事をする世の中になれば

曖昧な表現を機械がどこまで理解してくれるのか。

 

今後は物事を円滑にとり行うためには

発信者責任を意識した言動を心がけることが

重要になっていくのかもしれません。