店のすぐ北側にある「大甕神社」に行ってみました。
夏場は雑草が凄いために行けなかったのですが、
今は楽に行けます。
この神社には鳥居も拝殿も社務所もありません。
神社らしくないと言えばらしくないのですが、
良く考えてみれば、我々が抱いている神社の姿というのは
後世に人々が勝手に作った姿です。
縄文・弥生のころの人々は、森羅万象に神が宿っていると
あらゆるものを崇拝の対象にしていました。
岩であり、山であり、木であり。
それにしめ縄や鳥居や建物をつけたのは後の人の考え。
仏教のことを調べていた時に疑問に思ったことがありました。
釈迦は「草木には仏性はあるが、国土にはない」と言っているにもかかわらず、
日蓮が「国土にも仏性はあり、仏陀になりえる」と言った。
なぜ日蓮はそんなことを言ったのだろうか?
これは私の想像ですが、
古より八百万の神々を信仰してきた日本人。
当時の彼らにとって仏は異国から来た神様です。
国土、岩や山にも神が宿っていると当然のように信じている人たちに
「国土に仏性はない」とは言えませんよね。
なんかこのサッパリとした神社をお参りして、
そんな日本人の原風景を感じることができたつもりになりました。
(その他の写真はFacebookに載せています)
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Bennett (日曜日, 22 7月 2012 22:30)
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